うみのなみだ

日常+小説ブログです。

目を閉じるたびに揺れて、また、とまる((フェリシモ文学賞「ゆれる」の落選作を改稿・改題))

 目を開けるといつもと違う板張りの天井が見えた。実家の仏間だ。うたた寝していたほっぺたには畳のあとの感触があった。指先でなぞる。夕方までに消えてくれるだろうか。
 ぼんやりと今日の予定を思い出す。六時までに着替えること。七時までにホテルのロビーに集合すること。それほど多くない。用意も昨日確認した。あとは、寛ちゃんが来るのを待つだけだ。ちゃんと、迷わずこれるだろうか。忘れずにお土産もってきてくれるだろうか。
 寝ころんだまま、指先を伸ばして、長く垂れた電灯のひもを揺らした。先に結び付けられた名前の知らないキャラクターが、笑顔のまま揺れる。小さい頃から、ここでこうするのが好きだった。最初はおばあちゃんの部屋だったけれど、今はほとんど物置として使われているらしい。申し訳なさそうに隅に寄せられた段ボールには、たぶん私が知っている物たちがしまい込まれている。
 ゆらゆらと音もなく、風もなく、静かにひもが揺れる。お昼すぎの薄ぼんやりとした時間。しーんと静かな空間の周りを、窓の向こうから車の音や鳥の声が取り囲んでいる。畳の微かなにおいと、仏壇の気配。
 フーコの振り子だ。と笑ったのは誰だろう? 唯史だ。私をフーコと呼んでいた人。
 唯史の部屋にも、電灯から長いひもがぶら下がっていた。ぺったんこの布団に横たわりながら、笑い続ける唯史の横で、私はなんども揺らしてみせた。この部屋に似た、古めかしいアパートの一室。
 種明かしするみたいに唯史は「フーコーの振り子、ってのがあるんだよ」と言った。そのまま大学の教科書を引っ張り出してきて、それがどんな物なのかを楽しそうに教えてくれた。それはとても面白かったような気がするけれど、私の記憶の中にはもう唯史の楽しそうな笑顔しか保存されていない。
 幸せの思い出。
 あの頃は唯史と結婚したいと思っていた。まだ結婚についてなにもイメージを持っていなかったころ。
 最後はケンカばかりをして別れたはずなのに、不思議と思い出すのは笑っている顔ばかりだ。過去はいつも都合が良くて、卑怯だ。今だって十分に幸せなのに、不意に比較させようとする。何の意味もないのに。
 目線の真上に差し掛かったひもを捉えた。プラスチックのキャラクターをつまんで、放り投げる。不規則に跳ねたあと、再びゆっくりと私の上を弧が横切る。
「芙美子、出してあるお洋服、アイロンかけちゃうわよ」
「え、いいよ。自分でやるから」
「ついでだからいいのよ」
 ふすまを開けて降ってきた母の声はやけに張り切っていた。あんまり張り切らないで欲しいな、と少し思う。寛ちゃんは緊張に弱いタチだ。ただでさえお父さんに怖じ気づいているのに。
 最後の打ち合わせをした時の、不安げな表情を思い出した。ネクタイの色についてまで心配していた寛ちゃん。
 でも、本番では意外と立派にやり遂げてくれる。いつもそうだ。
 昨日の夜、寛ちゃんを残して一人実家に到着したときは、私にもなにやら高揚感を伴う緊張が張り付いていた。だけど実家の空気はすぐに私から何かを剥ぎ取ってしまう。
空気の抜けたバレーボールみたいに畳の上に転がったまま、私は微かに頭上で続いている揺れを眺めた。
 寛ちゃんはフーコーの振り子を知っているだろうか?
 唯史はそれまでつきあった男の子と違って、男の人だった。男らしくて、リーダーシップがあるタイプ。だけどそれがアダになっていったのだったっけ?
曖昧な記憶。
 振り子は少しずつ弧の大きさを変えながら、揺れる。だんだんと小さくなって、気がつくと停止している。いつもの、在るべき場所に。
 停止する一瞬を見つめる。
 もう一度手を伸ばして、揺らす。
 飽きるまで、何度でも。
 寛ちゃんはきっと濃紺のしましまネクタイを締めてくるだろう。あれなら間違いがない。スーツはいつもの一張羅。カバンと靴も私と並んでぴったりの物をちゃんと選んだ。
 想像して笑う。神妙な顔をして座る四人の姿、寛ちゃんの引きつった頬。
 あとでメールをしよう。気の抜けるような、素敵な言葉を選んで。新幹線の中で寛ちゃんが胃を痛めないように。目を閉じると思い出が揺れて、やがて止まる。目を開ければ、在るべき場所に振り子は帰っている。まだ何も始まっていないのに、でたらめに笑顔ばかりが張り付いている。