うみのなみだ

日常+小説ブログです。

 君には嘘がないから、僕には追いつけない #4

「高山さま、申し訳ありません」

 ごくさりげない減速で、車は停車した。「どうした」笑顔を見せた後、急に黙り込んでしまっていた彼女が剣呑に問う。

「はい、先に高山さまをお送りするつもりでしたが、誤って本家へ回ってしまいました」

 痛恨の極みと言わんばかりの真剣さで、彼は振り向いて頭を垂れた。

 身を屈めて窓の外を伺うと、趣きのあるレンガ造りの壁が見えた。目線を前方へ巡らすと、ずっと彼方に門らしきものが見える。こっそりと後ろを確認すると、その先にも壁が。およそ個人宅とは思えぬ規模の敷地面積が、その一枚の壁で切り取られている。

 何だこの壁は。

 再びの非日常に、くらくらと眩暈がする。僕はやはりとんでもないカードを切ってしまったのではないか。分不相応、という言葉がずっしりとのしかかってくる。

 そういえば学校から、どれ位離れたっけ。せめて現在位置の確認をと、記憶をたどり始める。しかし、車内に訪れた沈黙のなか、ひたすら切り出すべき言葉を探してフル活動していた僕の頭に、道すがらの情景などまったく記憶が無い。ひたすら、膝の上に置いた手をじっと見続ける映像が続く。それが、どれだけの時間だったのかすら、危うい。

 これはもしや、時空間がゆがんでいる、ということか。大変な事態だ。妙に冷静になった頭をふって、僕はため息を一つついた。

「高山様、誠に申し訳ありません」

「え、いや、そういう意味じゃないです。全然気にしないでください」

 こちらにも頭を下げる相羽に、慌てて場を取り繕う。

「まったく。君らしくないな。高山宗佑、遠回りになってしまい申し訳ない。すぐに車を回そう。相羽、出せ」

「え、いや。あの、」まずい、このままでは再び針のむしろの沈黙が待っている。

「僕は良いですから、朝生先輩、その、どうぞ先に帰宅、されてください」

 先に帰ってくれ、という表現を敬語にするという難問につっかえながら、僕は言った。

「そうは行かない、此方が君を招いたのだ、君を先に送り届けるのが筋というもの」

 ずいっと視線を寄せていう先輩には威厳と有無を言わせぬ迫力がある。だが、このまま再び沈黙の時間に曝されるのは遠慮したい。

「いえ、僕が急に待ってたっていうか、ですし。それに、女の子に送ってもらう訳には」

 しどろもどろに弁解する僕を置いて、彼女はハッと何かを悟ったように赤面し、小さくため息をついた。

「そうか。やはり君は」とそこで言葉を句切り、その先を考えあぐねるように視線をそっとそらす。何を言いかけたのか凄く気になる。僕がへたれた一般庶民であることを見抜いてしまったのか。なんて問いただすことなんかもちろんできない。

「解った。では先に降りるとしよう。相羽、失礼の無いようにな」

「はい、お嬢様。では玄関までお連れいたします。高山様、ご無礼をお許し頂きありがとうございます。今しばらくお待ちください」

 再び静かに車は動きだし、長く続くレンガ壁の先に見えていた門前へと近づいていく。ピピッと軽い電子音が響き、まるで自動ドアのように、鉄門がすべらかに開いていく。その先には、緑輝く樹木たち。そして、やはりというか、洋館としか言いようのない邸宅が姿を現す。

 ただでさえ高止まりしていた心拍数が、やけにはっきりと聞こえる。

 はやまったかもしれない。僕が彼女に近づこうなんて。

「では、先に失礼する」静かに、彼女は鞄を持ってドアを開けた。さすがにドアを開ける係が現れなかったことにほっとしながら、僕は「あ、」と間抜けな声を出した。

「ごきげんよう、先輩」

 さようなら、の丁寧版はこれだろう、と自信を持って口にした挨拶に、朝生先輩は振り返り、なぜか笑った。

「また明日。高山くん」ふわりと笑った顔のまま、彼女はそっと言い、素早くけれど静かに、ドアを閉めた。

「出発いたします」相羽がアクセルを踏み込む。

 去り際の笑顔に再び射貫かれた僕は、ぼんやりと遠ざかる彼女の姿を視線で追った。僕が打った博打には確かに価値がある。あの笑顔を見られただけで、僕には過ぎた幸せだ。

 門を出て、車は滑らかに進路をとる。

「あ、あの。ウチの場所って」何も知らせていないことに気づき、僕は身を乗り出してハンドルを取る相羽に話しかけた。

「ご心配なく。存じ上げております」

 柔らかに、けれどもぴしゃりと鞭を打つような芯の強い声で相羽が答えた。

「失礼ながら、昨年から、許嫁である高山さまの動向は勝ってながら私が把握させていただいておりました」

 さらり、と軽やかに言う、その内容は、つまり。

「この場を借りて、不躾な行動をお詫びいたします。しかし、お嬢様の許嫁であるお方について、僭越ながらまずはわたくしの眼にて確かめさせていただきました」

 どうどうたるストーキング行為の告白に、僕の頬は苦笑いを作ることもできない硬直を起こしていた。昨年から、僕を観察していたということは。つまり、僕がどのように取り柄のない、小物であるかということも、筒抜けであるに違いがない。あの邸宅に勤め、あのお嬢様に従う御方の眼において、僕がお眼鏡にかなうはずが無い。

「率直に申し上げて、旦那様から高山さまをご紹介いただいたときは、はばかりながら甘言も辞さないつもりでおりました」

 と、相羽は柔らかに続けながら、ハンドルを切った。先ほどまでみじんも感じることのなかったGが全身をぐらりと揺らす。

 絶対に怒ってる。

 バックミラーには軽くほほえんだままの表情が垣間見えるが、その内心が透けて見える。

「えっと、その、ごめんなさい」

 でも僕だって、なぜ僕が許嫁に選ばれたのか解らないんです、と釈明しようと、僕は相羽を見た。

「そうです」

 大通りに出た車体の速度をぐっとあげながら、相羽は言葉を続ける。

「その謙虚さ、潔さ。わたくしは高山さまの生き様を垣間見させていただくなかで、自分の浅薄さに気づかされました。あなた様はたしかに、朝生家当主に足りないものをお持ちです。そのことを、先日あらためてお嬢様にはご報告させていただきました」

 ええええ。期待していた言葉と真逆の賛辞の登場にまさかと耳を疑う。

 相羽さんはいったい僕の何を見ていたというのか。あの主人にしてこの従者。再びハンドルを切るGに耐えながら、その言葉の裏にあるものを、僕ははかりかねていた。